虫と歌のバカンス

アイドルという生身の人間に自分の願望を押し付ける自己満ブログ

染み込んだら辛いのは自分なんだよ 「私の少女」見てきた

キムセロンが出てる時点で、見るしかないだろと思っていたんですけど、これは見ないといけない映画でした。ネタバレあるのでまだ見てない方はご注意ください。


同性愛者であることが原因で田舎の漁村に左遷された警察官ヨンナム(ペドゥナ)と血のつながらない家族から暴力を受けている少女ドヒ(キムセロン)が出会って始まる物語

映画は終始淡々と静かに進んでいくんですけど、その中で虐待・いじめ・セクシャルマイノリティ・不法滞在・賃金搾取という私たちのすぐそばにあることなのに可視化されていない現実を抱えるものが田舎という閉塞された空間に嫌という程詰まっていて、二時間とは思えないくらい濃い映画でした。

過疎の漁村で唯一の若者かつ村の漁業のリーダー的存在のヨンハ無しでは村は立ちいかないことから、彼と彼の母親による義理の娘ドヒへの日常的な暴力は村全体で黙認されています。

これって別に韓国だからとか過疎だからとか田舎だからとか、そういう条件的なものではなくてどこにでもあることです。

私は東京生まれ東京育ちで中学は一学年3クラス、高校は7クラスでしたけど、部内のリーダー格の女の子が一人ずつ同級生の部員をハブにしていくのにただ従ってた子たちも、立場が逆転して他の部員にハブられる元リーダーの子もその他大勢と一緒に横目で見てました。

私の家族は、最終的なことは全て父が絶対なんで、父の怒りのスイッチが入ってしまったら一日中正座とか普通です。
正座してる横で母はひたすら家事して、父はソファで笑いながらテレビ見てたり。あ、リビングの壁に向かって正座させられるんですよ。基本、兄が私かどちらか一人が座らされるんで、怒られてない方は自分の部屋に籠る。

母からは「パパがあの状態になったらママは何にも出来ないから、なるべくそうならないようにして」って言われました。
辛いですよ、これ。こっち見ないですから。そんなこと言って私も兄が座らされてる時なーんにも出来ないんですけどね。

そういうことがあるからか、私は未だに父に思いっきり反抗できないし、父の思う「いい子」を抜け出せてない。だって楽だから。なまじ反抗して正座させられるよりは、「はい、わかりました」って言って、裏でグチグチ文句言ってストレス発散する方が自分が楽だから。
なので、どれだけ泣かされても嫌なことは嫌って言える兄が羨ましいです。

昔はそういう兄を見て「馬鹿だなーおとなしく引き下がればいいのに」って思ってたけど、それじゃ駄目なんだよ。
確かに、それはおかしいんじゃないの?とかそれは嫌だって思うことにいちいち反論してたら疲れるんですけど、それを言うだけ無駄って見て見ぬ振りしてたら自分がそれに飲み込まれちゃうからそこは流しちゃ駄目なんですよね。
父の兄と私への性差発言(男のくせに、女の子なんだから)にも、「それは違うと思う」ってちゃんと言っていかないと、浴びっぱなしの毒がどんどん身体にたまって染み付いて取れなくなる気がする。

見て見ぬ振りをする側もされる側も経験しているので、あの村民たちも暴力を黙認することに慣れきって染み込んじゃったんだなーと思います。

その中で精一杯暴力から逃げるドヒから感じる生き抜くための本能が私には怖かったです。多分私は捕まってもっと殴られるのが怖くて逃げ出せないから。いや、逃げきれてないし、ドヒ自身も暴力に慣れきって自傷行為に走ったりしてるんですけど、生への執着が自分を守ってくれるヨンナムへの執着にそのまま繋がってる気がして怖かった。

村民の生きていくためには仕方がない諦めとドヒの生きていくためには仕方がない憎悪と計算がこびりついていて、結局何も解決してないっちゃ解決してないんですけど、最後のヨンナムの「私と一緒に行く?」のセリフと夕日が一筋射すシーンに希望を感じました。

村を出て行くヨンナムとドヒが乗る車の行く手を遮るような雨。観終わった後になんともいえないモヤモヤが残りますが、負けるな!逃げるな!立ち向かえ!が一切無くて救われます。
私、色々落ち込むことがあって昨日久しぶりに涙が堪えきれずに泣いたんですけど、頑張らなくていいから頑張ろうかな、そんな気分にさせてくれた映画でした。

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